大事なこと

若き数学者への手紙」を読んだ。暖かい筆致で数学と数学者をやさしく説明してくれるいい感じの本。おもしろかったのは始めの方に載ってた「数学がなんの役に立つのか」と言う質問に対する回答で、数学が無かったら電話もできないし、ビルも建たない。数学が利用されてるものにMath insideシールを貼ったら周囲の全てはシールまみれになるだろう、と。

ちょっと前に本屋に寄ったとき、なんとなく気まぐれで「今日の芸術」を買ったんだけど、ここでも同じような問いかけがあって「なんで芸術するんだ」と。で、岡本太郎の回答は「芸術は意思を持ったあらゆる活動で、芸術家であろうとなかろうとみな芸術しなければならない」とかそんな。

以前、社内ブログで社長がこんなエントリを上げた。

新聞社の記者が、NPOなどと比較して
「なんでベンチャー経営者は二言目には利益、利益とお金の話になるのですか?」
という質問を(知り合いの社長に)した。
それに対してその社長は憤りを感じこう応えた。
「じゃぁ、君はお金を稼ぐということをしたことがあるのか。自分の給料じゃない。国は税金から成り立ち、税金は企業の努力の結果、企業が納める税金とそこから従業員に発生する給与からの税金この2つは企業が利益を出そうと汗水働いた結果に他ならない。お金を稼ぐ努力をして何が悪い。僕らがその努力をしなければ国家は成り立たないじゃないか。」
記者は大きく反省をしたそうです。

まぁNPOと企業を比較する記者もどうかとは思ったけど、それよりもなぜかこの社長の反応にとても気持ち悪いモノを感じた。

その理由について、今回読んだ2冊でなんとなく判った気がしたんだけど、結局そのときはこの社長の独善が気持ち悪かったのかなと。自分がやってることに価値があると信じてるのは数学者も芸術家も社長も同じなんだけど、その中でこの社長だけ他の人を貶める表現してるんだよね。「じゃぁ、君はお金を稼ぐということをしたことがあるのか。自分の給料じゃない。」の部分がなければそれほど嫌な印象は受けなかったと思うんだけど。(給与所得者はお金を稼いでるとは言えない、給与所得者の税金は給料を払ってる企業のおかげだ、と言われてもね。源泉徴収制度のせいでそういう発想になるのかな)

もし社長の回答が本心で、質問にまっすぐ答えるなら「お金を稼ぐことは手段であって、それによって賄われる税金で国を支えているというプライドが経営者のモチベーションです」と答えれば済む話。つい質問者を責めるような表現になってしまう辺りに、なんか弱みと言うか、痛いところを突かれたみたいだと感じてしまう。

それぞれに大事なものがあることを認めて、自分の信念を語る時に他の人は引き合いに出さないのが正解なのかも。