一瞬の嵐
同僚にただでチケットをいただけたので「いまここにある風景」という映画を観てきた。簡単にまとめると人類によって破壊された風景と、生み出された風景を撮り続けてきた写真家の写真と語りをわりかし淡々と流し続ける映画。
舞台の多くは中国だけど、
ま た 中 国 か
とかそういう話ではなくて、むしろ映画を観る限り中国は非常に合理的にある意味正しくことを進めてるだけのように見えた。結局は世界が求めてるから中国が広大な工場で膨大な数の人を使ってリアル蟹工船してるわけで、中国が引き受けなかったら単に同様なことが世界中で行われて、たぶん一箇所に集約するよりも結果的に多くの人が、しかもより劣悪な環境で作業するだけなんだと思う。
そのほかに映画に出てきた都市鉱山の話や、ダム立てるために街をつぶす話も、見方によってはぜんぜん間違ってない、と思う。でもどのシーンもとても悲しい。(まぁ街を潰して均すのを実際そこに住んでた人たちにやらせるのは人情的にどうなのよと思わないでもないけど、確かに極めて合理的)
合理的な判断に基づいた結果なのに、それがとても残念なことになってるとしたら合理性の基準が間違ってる。思うに、世界に足りないのはそれが持続可能かどうかという視点じゃないだろうか。残念だけど、今の生活は明らかに持続可能じゃない。少なくとも石油が尽きたら全部終わる。
タイトル忘れたけど、ずっと前に呼んだネイティブアメリカンの本に「世界は子孫からの預り物」みたいな言葉があって、これはいい言葉だなと思ったのを思い出す。*1預りものなら傷をつけるなんて論外で、可能なら利子をつけて返したいと思うもの。
壊れた世界もプロの写真家の手になると美しくて、それがまた悲しいんだけど、できればもう少しゆっくり成長していける世界であるといいなと思ったりした。
淡々としてるだけに油断すると眠くなるけど*2、いい映画だと思うので都合が合う人は見に行けばいいと思う。