RubyKaigiが次回最終回だということについて

本年も成功裏に終了したRubyKaigiだけど、来年で最終回だとか。正直本当に終わると思ってないし、仮に現在の中心スタッフが止めても、他の誰かがなにかしらやるでしょ。そういう次世代イベントの中心メンバを育てるための場がRegional RubyKaigiだと勝手に思ってるし。

ただ、それはそれとして「RubyKaigiを一度終わってみる」っていうのはホントにいいことだと思う

(たしか)一昨年の角谷さんのゆるふわセッションを私は大笑いしながら見てたんだけど、終わってから他の人の書いたレポート見てるとなんとなく違和感があった。まぁ詳細レポートを書くような人はそれだけ多くを受け取った人だから思い入れも激しいのかなぁと思ったりしながらその時は違和感を気にしないことにしたわけだけど。

それで迎えた昨年の角谷さんのセッション。もちろん発言は示唆に富んでるし、事前にかっちり準備をしながらも、それ以上にみんなの前でなんとかして自分の感覚や感情を言葉にしようと精一杯な感じは感動的ではあったんだけど、正直言えば私も卜部さんの提言の(3)を読んで激しく同意した*1。角谷さんがどうこうじゃなくて、あんまりにも感情移入しすぎてる周りの人に。

そんな経緯で、今年は角谷さんの話を聞きながら主に聴衆を見てたら、なんかもうみんな「ウットリ」してるの*2。内容は私も前回より今回の方が好きなんだけど*3、発表自体は直前にKeynoteが壊れたせいもあってこれまで私が見た角谷さんのセッションの中では一番たどたどしい感じだった。それをうっとり眺めちゃいかんだろ、マジで。

最初に書いたけど詳細レポートを書く人の多くはその他の人よりも感受性が高いから「感動した」って書いててもそのまま信じちゃ駄目だ。結果的に感動するのはいいけど、そもそも技術系カンファレンスのセッションは感動するために聞くものじゃない。なんか、「感動した」っていうレポートを見て「感動しよう」という目的で参加して「感動しなきゃ」って気持ちでセッション聞いて......と言うのを5回も繰り返しているうちにちょっとだけ変なことになってる気がする。一言で言えば、参加者がよく訓練されすぎた

なので、RubyKaigiを一回終わって参加者のこれまでの訓練の成果を反故にするのはとてもとてもいいことだ。

来年の「最後のRubyKaigi」は楽しみだけど、それが結局感動的なものになることはもう分かってる。だから、私が本当にワクワクするのはさらにその次の、RubyKaigiではないかもしれない、生まれ変わった何かの方だったりする。

*1:ああいうのをちゃんと伝わる言葉で言ってくれる人がいるRubyコミュニティはすばらしい

*2:3日間連続でセッション聞いて頭も体も疲れているところで、最後に感動を呼ぶような話するのはそもそもカルトの手法だからそれも分かるけど・・・

*3:前回はなんか投げっぱなしだったし・・・