Perlが性に合わない理由がわかった気がする

基本的にいろんなプログラミング言語の仕様とか眺めたりするのは好きな方だと思うんだけど、Perlはだめ。ぜんぜん楽しくない。で、それはなんでなのかちょっと考えてみた。

個人的に、言語の仕様見てて楽しいのは言語を作った人の考えが見えてくるところ。もちろん哲学は言語の中で一貫してればしてるほどいい。ちなみに、その基準でいうとやっぱLispSmalltalkあたりが最高かなと思う(どっちも別に詳しくないけど)。コードもデータも全部リスト、とか、システムに存在するのはオブジェクトとメッセージ送信だけ、とか、もう「美しい」以外に言葉もないよね。

で、翻ってPerlPerlのモットーは・・・「There's More Than One Way To Do It」。うん、もうね、アホかと。別にやり方がいろいろあってもいいけど、自分がベストと思うものを提供するのが設計者の矜持じゃないの?Perlユーザーがその「やり方は一つじゃない」を理解したとして、それは何かの指針になるのか?

まぁ反論も少しは予想できる。常にベストなやり方なんて存在するはずがないから、いろいろなやり方を用意した中から自分でベストを選ぶべき。言語設計者にその選択を求めるのは甘えだ、思考停止だ、とかなんとかかんとか。だけどさ、細部が異なるだけの問題に毎度毎度場当たり的な対応かます、それが思考?その独善的な対応を「やり方はいろいろある」と正当化することこそ甘えじゃないの?

この言語はこういう思想で作られてるから、それに基づけばこういう場合はこうやるのがベスト。そういう考えができる言語のほうが、私はいい。